Terumi Morita
May 8, 2026·旅と記憶·2分・約1,383字

旅先の凡庸な一皿が、なぜか忘れがたい理由

見知らぬ土地で食べたなんでもない料理が、不思議とこの上なくおいしく感じられる──「ホリデー効果」と呼ばれる現象が教えてくれる、味と環境と心のひそかな関係。

旅先で口にした、ちょっとしたひと皿が、思いがけずおいしかった──そんな経験を思い出してほしい。二〇一六年に発表されたある研究は、見知らぬ環境のなかで味わう食べ物は、味覚そのものの感じ方を高めることを示している。普段なら凡庸と評するような料理さえ、絶品に思えてしまう、というのである。とすると、ひとつの問いが浮かんでくる。本当においしいのは料理のほうなのか、それとも、新しい環境のなかで変わっているのは私たちのほうなのか。

食の体験は、人間の心理と分かちがたく結びついている。それを端的に示すのが、「ホリデー効果」と呼ばれる現象だ。この言葉が指しているのは、旅という時間がもたらす一時の歓びだけではない。旅に付き物の、研ぎ澄まされた感覚そのものでもある。コーネル大学の研究は、味覚の知覚において、環境が決定的な役割を果たすことを明らかにしている。旅をするとき、期待と未知への驚き、異文化への没入が一斉に感覚を刺激し、料理の味がその素材そのものを超えて立ち上がってくる文脈ができあがる。

異国で食べた、ささやかな一皿を思い浮かべてほしい。ありふれたパスタでもいい、屋台のタコスでもいい。その周りに広がる景色、聞こえてくる音、漂ってくる匂い──すべてがその食事を、複数の感覚にまたがる豊かな体験へと変えてしまう。私たちの脳は、味を文脈と結びつけて記憶するようにできており、家の外で食事をするという行為そのものが、新しい意味を帯び始めるのだ。二〇一三年、心理生物学者チャールズ・スペンス(Charles Spence)の研究は、味覚の知覚が舌の上だけで決まるのではないことを示している。視覚的な手がかりや、その場の文脈の重みが、味の感じ方に大きく作用しているのだ。だからこそ、旅というワクワクをまとった凡庸な一皿は、日常の見慣れた台所で食べる五つ星の料理より、はっきりとおいしく感じられたりする。

歴史的にも、食はつねに、人が集う場における儀礼の役割を担ってきた。人類学者クロード・レヴィ=ストロースは、食事とは単なる栄養補給ではなく、文化と文化の交換である、と語った。これは旅において、いっそうくっきりと姿を現す。誰かの国でその土地の料理を口にすることは、ひとつの文化的な橋を渡る行為であり、私たちは料理を介してその土地の慣習や伝統までも、いっしょに体内に取り込んでいる。こうした文化的な深みは、たとえ厨房の技がそれほど卓越していなくとも、体験そのものを豊かにし、私たちの満足を大きく膨らませてくれる。

そして、その体験に寄り添う前向きな感情──興奮や冒険心、人とのつながりの感覚──もまた、味覚を変える。背景にある神経科学の説明は単純だ。新しい体験に出会ったとき、脳は「快」の神経伝達物質ドーパミンを放出する。新しい料理に出会った瞬間も、その例外ではない。だからこそ、それほど印象的でないはずの一皿が、旅の歓びと縒り合わさって、特別なごちそうに変わっていくのである。

逆もまた然りだ。慣れ親しんだ自宅の台所で食べる料理は、日々の疲労や雑事のしわが寄せられて、知らぬ間に厳しく、あるいは無関心に味わわれてしまう。要するに、文脈と文化と感情こそが、味覚の感じ方を深いところで形づくっている。これらが噛み合った旅の途上では、いちばん素朴な料理ですら、忘れがたい饗宴へと姿を変えていくのだ。