食卓に流れる、もうひとつの「味」──音という見えない演出
店内に流れる音楽のテンポひとつで、食事のスピードも、選ぶワインも、満腹の感じ方まで変わってしまう。食卓を密かに支配する「音」の力について。
二〇一五年、サウス・フロリダ大学の研究者たちが、ひとつの興味深い事実を明らかにした。レストランに流れる音楽のテンポが、人の食べ方を大きく左右するというのである。速いテンポの音楽を聴かされた客は、ゆったりした曲の流れる空間にいた客に比べて、なんと三十パーセントも食事のペースを上げていた。ここでひとつ、ちょっとした問いが立ちあがってくる。私たちの食体験を本当に動かしているのは料理そのものなのか、それとも音が組み立てる「場」のほうなのか。
外食産業は、ずっと前から雰囲気の威力を心得てきた。そしてその設計のなかで、音楽は単なる背景ではなく、食事という体験を彩るための周到な絵の具のひとつとして扱われている。クラシックの静かな旋律から、軽快なポップスの拍動まで──店内の音の風景の設えは、客の気分だけでなく、食べる速さ、味の感じ方、そして最終的には支払う金額にまで、密かに作用しているのだ。
二〇一三年に発表されたイタリアの研究は、その作用を端的に示している。イタリアの音楽が流れている店ではイタリアワインが選ばれやすく、フランスの音楽が流れている店ではフランスワインが選ばれやすかった、というのだ。私たちは、耳から入ってくる音によって文化の文脈を呼び覚まされ、知らぬ間にその音と地続きの選択をしている。これは偶然ではない。共有された記憶や過去の体験の奥に眠っていた心理的なスイッチが、音によって押されているのである。
音楽は、いわば認知の合図として働き、私たちの期待と体験の枠組みをあらかじめ定めてしまう。「店のソニック・アイデンティティ」を研究するマイケル・クーティタス(Michael Koutitas)博士は、こんなことを指摘している。ファストフードの店が高速のリズムを多用するのは、店内に勢いを生み出し、客の回転を速めるためだ。一方、ファインダイニングの店はゆっくりとした旋律を選ぶ。料理を急がず味わうための、悠々とした時間そのものを売りたいからである。つまり店側は、音楽によって食事のスピードを思いどおりに操っている──だから私たちは、本来食べる量よりも多くを口に運んでいる可能性さえある。長居をしてゆっくり味わいなさい、と音楽は語りかけ、ときには急いで食べ切りなさい、と背中を押す。
さらに研究は、騒がしい環境では満腹感の感知が鈍ることも示している。賑やかな話し声、料理がもたらす感触の楽しさ──こうした要素が重なると、食べた量の見当はいともたやすく狂ってしまう。そんな場では、追加の一品やデザートや飲み物を頼みたくなる。音楽が増幅させる高揚感に、私たちは思いのほか弱いのである。
ただ、これはなにも消費者行動の話だけにとどまらない。文化の物語そのものに関わる問題でもある。歴史をふり返れば、人が集まって食事をする場には、いつも音があった。祝祭の宴に響く伝統的な歌でも、ロマンチックな夕食を支えるピアノのささやかな旋律でも、音は食卓を取り囲む人と人との関わりを、ずっと静かに形づくってきた。
カフェにせよ高級店にせよ、店内に流れる音楽は、その店の「テーマ」と「食事のスタイル」に合わせて選び抜かれた、味と体験の指揮者だと言ってよい。食べるという行為そのものに、いつしか情緒的な意味あいが編み込まれていく。それは、私たちがそのとき身を置いている音の景色によって、ひそかに、しかし決定的に、形づくられているのである。
