Terumi Morita
April 3, 2026·旅と記憶·2分・約1,028字

未知の味は、なぜ深く記憶に刻まれるのか

見知らぬ食べ物に出会ったとき、脳は普段の食事よりもずっと深くその瞬間を刻み込む。神経科学者の研究と、食をめぐる歴史が示す、味と記憶の不思議な関係。

二〇二〇年、神経科学者ジー・ヨン・ジュアン(Zhi-Yong Zhuang)の研究によって、ひとつの興味深い事実が明らかになった。日常的な食事に比べて、未知の食体験のほうがはるかに強く記憶に残るというのである。脳は、たとえば初めて口にした南国の果実のように、目新しい体験を、ふだんよりも豊かな感情と感覚の信号とともに刻みつける。つまり食の冒険は、味覚を満たすだけにとどまらず、記憶という風景に深い溝を刻む営みでもあるのだ。

そのしくみは、私たちが体験をどのように処理し、記憶にしまっていくかという問題に行きつく。見慣れぬものを口にした瞬間、脳のいくつもの領域が同時に動きだす。情動を司る扁桃体、記憶を編み上げる海馬、そして味覚と嗅覚を受けとめる感覚野。これらが一斉に働くことで、「目新しさ」という情緒の重みが体験そのものに錨を下ろし、後になってもその瞬間がよみがえりやすくなる。歴史をふり返れば、その典型がある。十六世紀末、南米からヨーロッパへ渡ったジャガイモが、食卓だけでなく社会の構造までも塗り替えていったことを思い出してほしい。

ジャガイモは当初、「悪魔の食物」と呼ばれ、人々の好奇と疑いの目にさらされた。だがその応用範囲の広さと、人を養う力ゆえに、やがて主食の座にのぼりつめる。食における新奇さは、舌の好みを変えるだけでなく、社会そのものの歩みを動かしてしまう──ジャガイモの歴史はそのことを物語っている。この転換点は単なる味覚の変化ではなかった。農業生産を押し上げ、人口を増やし、ヨーロッパの行く先を大きく変えた、ひとつの食の革命だったのである。

食を取り囲む文化のいとなみもまた、その記憶の力を一層ふくらませる。日本にいう「食欲の秋」を思い浮かべるとよい。柿や栗といった旬の味覚は、その季節限りの楽しみであると同時に、世代を越えて受け継がれてきた家族のつながりを呼びさます象徴でもある。文化的な意味合いを帯びた食との出会いは、その記憶をいっそう深く心に焼きつける。

こうしてみると、私たちと食との関わりは、ただ腹を満たすだけのものではないことが見えてくる。それは感情と体験と人とのつながりが幾重にも織り込まれた、自分自身を語る複雑な台本のようなものだ。さまざまな香りと味があふれる世界を歩いていくとき、食との親密な出会いが私たちの記憶と輪郭をどのように形づくっているかに、ふと目を向けてみたい。ひと口ごとに、語られるのを待っている小さな物語がひそんでいる。